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歴史

曾祖父「長谷川一陽」は洋画家黒田清輝に従事。その後明治34年浅草で独立。浅草で映画看板を描きながら、店舗の看板に着目。従来の店名表記から取扱商品をグラフィックとして取り入れた絵看板を描き始める。その後浅草六区の店舗看板のほとんどは、一陽たちが描いたもので埋め尽くされた。後、日本橋柳屋からウィンドウディスプレイの依頼を受け、日本で初めてのウィンドウディスプレイの仕事を。
一陽から2代目「聖一郎」で商工美術株式会社と改め、3代目「平八郎」と銀座和光のウィンドウディスプレイ、第一回目全日本自動車ショー(現在ジャパンモビリティーショー)日産自動車ブース、国際見本市展示会、大阪万博では日本政府館、電気通信館、三菱未来館などを手掛ける。

日本最初のディスプレイ業として100年になる前に、看板を下ろしましたが、その精神を受け継ぎ、これからのデザイン業で生きていくことを誓う。

初代 長谷川一陽(掛け軸保管)

掛け軸には、向井潤吉氏・宮本三郎氏・鶴田五郎氏・

​杉浦非水氏・伊藤深水氏・東郷青児氏等

長谷川 慶

​ディレクター

9代目・八丁堀生まれの生粋の江戸っ子

曾祖父「長谷川一陽」は洋画家黒田清輝に従事。その後独立し、浅草で映画看板を描きながら、店舗の看板に着目。従来の店舗名表記から取扱書品をイラストに取り入れた絵看板を描き始める。その後浅草六区の店舗看板のほとんどが一陽たちが描いたもので埋め尽くされた。後、日本橋柳屋がウィンドウディスプレイの依頼を受け、日本で初めてのウィンドウディスプレイの仕事をやり遂げる。一陽から2代目「聖一郎」、3代目「平八郎」と銀座和光のウィンドウディスプレイ、第一回目全日本自動車ショー(現在ジャパンモビリティーショー)日産自動車ブース、国際見本市展示会、大阪万博では日本政府館、電気通信館、三菱未来館などを手掛ける。

その家系故、幼いころから著名なデザイナーやクリエイター達と触れ合い、仕事場や現場に同行することで、クリエイティブな仕事をすることに決意する。

北の大地 北海道東海大学芸術工学部デザイン科卒。

㈱ミネルバ 宮本茂紀 家具のモデラーの元で3年間修業をしたのち、家業商工美術に入社。その後バブルのあおりを受け100年になる前に廃業。ディスプレイ業4代目として、2000年 有限会社 アイ・エイチ ファクトリーを設立。商工美術の精神とデザイン性、ミネルバで培った知識を活用し、展示技法やインテリアの知識も併せ、スペース&グラフィックと多岐にわたりディレクションに携わっている。

【根幹】

に笑顔を  ➡ 情熱(PASSION)

大地に恵みを ➡ 精神(SPIRIT)

​宙に願いを  ➡ 希望(HOPE)

人類は、自分たち生活の豊かさだけを追求してはいけない。

この地球では、人類が最高位と考えているのは、人類だけなのだから。

これからのデザインは、人の心の豊かにすること、これからの子供たちが安心して住める未来の地球を考えていかなばならない。

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